2015年1月7日水曜日

近代化の基礎(参考書)

2014年度後期「社会学の基礎」私担当分の1回目は、社会学がどのように近代を考えるかについてざっと述べました。ルネサンス、宗教改革、市民革命、産業革命。西洋の近代化の基礎を作ったイベントとされるこれらについては、高校世界史の参考書として;

  • 木下・木村・吉田編『詳説世界史研究[改訂版]』山川出版社、2008年

があります。これを持っている方は、第9章「近代ヨーロッパの成立」と第10章「ヨーロッパ主権国家体制の展開」、第11章「欧米における近代社会の成長」をぺらぺらおさらいしてみてください。

政治経済的に大きなイベントの流れとして歴史を把握することは、基礎勉強として重要です(私もおさらいしなくては)。しかし高校世界史は少ない分量でまんべんなくカバーしなければならないし、「史実記載」のスタイルを採っていて、著者によるそれぞれの史実に対する意義付けや解釈をできるだけ書き込まないように遠慮しているため、特定のテーマについて論じられているわけではありません。

社会学は、高校世界史とはもう少しちがった、たとえばその時代に普通に暮らしていた人たちがどのように近代や近代化を経験したのかに着目したり(歴史社会学や社会史)、近代性の条件やメルクマール(目印)となる要素を抽出して近代的世界を理解しようとします(理論社会学)。

講義では時計時間の発明の話をひとつの軸としました。たとえば近代的な時間の流れの歴史社会学は;

  • 福井憲彦『時間と習俗の社会史ー生きられたフランス近代へ』新曜社、1986年

理論的なものでは;

  • 真木悠介『時間の比較社会学』岩波書店同時代ライブラリー、1991年(原著は1981年発表)

があります。ローカル世界から脱し、近未来を設計の対象ととらえて思考する近代的理性は時計時間という前提と切り離せません。機械時計が普及するのはだいたい18世紀から19世紀への変わり目です。福井(1986)は、機械時計が発明され都市の威信の象徴(大きな時計塔)だった17−18世紀から、鉄道、学校、工場という近代化の社会経済的インフラと密接にかかわりながら普及していく具体的なイメージが前半で把握でき、後半で、5月からスタートして4月まで、1年をめぐるかたちで、時計時間が普及する前のフランス農村のくらしのようすが紹介されています。

人類学や社会学のモデルが言ったように、前近代/近代では、人びとの社会意識のなかでの時間の流れは円環的/直線的と表現できるような対比で、社会の状態は冷たい社会/熱い社会のような対比で表現されるようなものとなります。前近代的農村共同体のローカルな時間の流れは毎日の陽の出・陽の入り、一年の農耕暦(耕起 - 播種 - 除草 - 収穫etc.)とともに「繰り返す」もの。

社会人類学者E. Leachによればこの繰り返しは円環的というより、振り子のように振動的だ。現代の我々が現在に軸足を置きつつもつねに未来を気にして「現在-未来」という直線的なパースペクティブで時間を把握しがちなのに対して、前近代の共同体では「過去-現在」の円環/振動で時空はイメージされ、過去はつねに潜在する現在としてある。つまり、前近代では時間はつねに具体的内実(社会事象)を詰め込まれたもの(すでに経験された過去中心だから)であるのに対し、近代では抽象化された時間の流れとなっている(未経験の未来へと連続する時間という概念そのものとしてイメージされているから)。→ 続きは真木(1991)で。

さて。前近代のローカな共同体たちはいかして脱ローカル化し、近代的な時空間が実現するか。近代化は全体としては近代国家成立の過程であり、前期近代においては都市化と工業化をその社会変化の最大の特徴とする。ここに出てくるのが、前近代的農村のローカルな共同体の崩壊のストーリーで、第2次大戦後の日本の社会科学ではこのストーリーを下敷きにした発展段階論・近代化論が盛んでした。たとえば経済史学では、イギリスの囲い込み運動(エンクロージャー)を農村-都市人口移動と農村共同体崩壊の契機としているのが定番です。

社会学はこうした「史実記載」による共同体崩壊のストーリーによる近代化把握とは別に、近代化にドライブがかかる契機を理論的に検討しようとします。近代的なものの考え方ということで言えば、合理化・均質化という面が大きな特徴。たとえばイギリスのA. Giddensは、貨幣と時計時間などの象徴的通標がいろいろな社会事象をローカルな文脈からの脱埋め込みを促進する、というのが決定的な要点だと言います。詳しくは;

  • A.=ギデンズ(松尾精文・小幡正敏 訳)『近代とはいかなる時代か?―モダニティの帰結』而立書房、1993年(原著は1990年)

の第Ⅰ章あたりを読んでほしいのですが、要するに貨幣や時計時間が、われわれがいま自由に移動し、いまいるローカルな社会にわれわれ自身のコミュニケーションをつねに帰属させることなく(目の前にいない人や状況との)自由な範囲でやりとりできる、そういう状況が実現するには必須の前提となっているということ。

いまいる特定の現場(locale)にしばられない。これは時間も空間も特定のローカルな文脈(事情)に左右されない標準化されたものとなってはじめてそれが可能なのであり、このローカル世界からの標準化作用をギデンズは「脱埋め込み」と呼びます。別の言い方では、時間と空間の空白化(自由な書き込みや計画の対象となりうるという意味で)とも言っています。この脱埋め込みに欠かせないツール(象徴的通標、token)の代表格が近代貨幣と時計時間だというわけです。

ここでは「時間」を中心に紹介しましたが、もうひとつの「貨幣」については上記のギデンズ本のほかに以下の参考書を挙げておきますので、興味のある人は読んでみてください。

  • 内山節『貨幣の思想史ーお金について考えた人びと』新潮選書、1997年